「何!?」
「敵が扉を壊そうとしてるんじゃないかね!? お嬢様早く! ここですぐに殺されてやることはありません。皆を逃がすおつもりなら、隠し部屋から遠いところへひきつけなくては」
「わ、わかったわ!」

 そう言って急き立てられるように館の階段を登り始めてまもなく、轟音と震動にアリスティアは足を踏み外しかける。
 見下ろせば、木で作られた館の扉が、鉄の破城槌で外側から破られていた。

「急いで!」
 後ろから押されるようにアリスティアは階段を駆け上がる。
 けれど悲鳴が聞こえて振り返れば、女性達の何人かが取り押さえられていた。
 そして次々と入り込んでくるノイエフェルトの兵は、次の手近な女性に向かっていく。上から状況を見つめていたアリスティアは、思わず叫んでいた。

「わ、私はこの子爵家の娘よ! 狼藉者は立ち去りなさい!」
 言葉の効果は覿面だった。
 腰を抜かして座り込んだ女性を放り出し、ノイエフェルトの兵達は階段を駆け上がってくる。

「わ、わわっ!」
 ころげまろびつの無様な姿をさらしながら、アリスティアは走った。しかし階段を二階登ったところで、一緒についてきた女性が捕まってしまう。

「お嬢様、逃げて!」
 言われてアリスティアは、とっさに走りやすい二階の廊下へ進んでしまった。
 でもだめだ。ここじゃ隠し扉に近い。
 だからアリスティアは、廊下の果てにある掃き出し窓へ向かった。

 窓の外には小さな露台がある。そこから落ちたら、きっと中にいる敵も館の外へ集まってくるだろう。
 二階の隠し部屋に気付くのも遅くなるはずだ。
 けれどたどり着くより先に、敵は背後まで迫ってきた。
 アリスティアは決意を固めて、手に持っていた草刈り鎌を振り回した。

「おい、刃物を持ってるぞ!」
「草刈り鎌!? 本当に貴族の令嬢かよ?」
「とにかく捕まえろ!」
 一瞬、草刈り鎌にひるんでくれた敵兵だったが、捕まえると決めたとたん、あっさりとアリスティアの腕は捕まれ、草刈り鎌は取り上げられた。
 もうだめだと覚悟したその時――

 すぐ近くの扉が開いて、そこにいた兵士を弾き飛ばした。
「!?」
 アリスティアは突然のことに息をのむ。
 扉の奥からは、黒髪の青年が現れた。彼は瞬く間にアリスティアに迫っていた二人を斬り倒す。
 血しぶきが上がった。
 斬られた敵兵の無残な姿と、湧き上がる苦悶の声の中でアリスティアは恐怖で一瞬目を閉じる。
 けれどここで何も見ないようにして、うずくまるわけにもいかない。
 意を決してもう一度周囲を見ようとしたら、

「……え」
 黒髪の青年が一人を斬っているその向こうに「ひょえええええっ」と言いながら、足を掴まれ高速で廊下の向こうに消えるノイエフェルトの兵士が二人いた。
 ……ような気がする。

 アリスティアは目をこする。
 今、自分は何を見たのだろう。錯覚だろうか。
 すると、敵兵を斬り倒した青年が近づいていて、アリスティアの腕を力強く引いた。
 驚きでなされるがままになったアリスティアは、背中に庇われたことで、自分を助けてくれたのだとようやく理解する。

 さらさらとした黒髪と、アリスティアより頭一つ分背の高い彼の広い背中が目の前にある。その向こうには、警戒も露わにした表情で剣を抜いた、十数人もの敵兵がいた。

「動くなよ」
 黒髪の青年は短く告げると、単身で十数人もの敵に向かって数歩を詰めた。
 同時に、黒い風が巻き起こった。

 なんか私の目、おかしい?
 アリスティアが瞬きする間に、青年はさらに数人を斬り伏せていた。しかもまた三人ぐらい敵兵が減っているような。
 敵がひるんだすきに、黒髪の青年が目の前で起こった事象に戸惑うアリスティアの手を再び引いた。

「え?」
 そして数歩進んだことで彼の背後になっていた、扉が開いたままだった部屋。そこにアリスティアを引きこみ、簡潔に「そこにいろ」と命じてくる。
 黒髪い前髪の間からのぞく、重く落ちかかる夕陽の色に似た琥珀の瞳に、縛られたように呆然としていたアリスティアの前で、扉が閉まる。

「……助けて、くれた」
 あの青年が誰なのかも、どうしてノイエフェルトの兵を倒しているのかもよくわからない。ただ、アリスティアを守るために、部屋に閉じ込めたのは理解できた。
 さらに青年は、今も扉の向こうで一人で戦っている。

 まだ気を抜いちゃいけないと思うのに、手から草刈り鎌がすべり落ちた。
 たった一人になってしまって、でもなんとか最後に領主の娘の義務を果たすしかないと思いながらも泣きそうだったアリスティアは、安堵で涙をこらえることができなくなっていた。
 目からこぼれる涙をぬぐいながら、それでも座り込むことだけは我慢して、あの青年が無事でいることを願い続けた。

 そんな彼女の願いは、間もなく叶えられる。

 再び扉が開かれると、入ってきたのはあの青年だ。しかも仲間が駆け付けたのか、その後ろには同じように黒い衣服を身にまとった男たちがいる。

「館の中に入った者は始末した」
 淡々と告げる青年は、激しい戦いの痕をうかがわせるように、頬に飛んだのだろう血がついていた。
 けれど彼自身が怪我をした様子はない。
 アリスティアはほっとして、彼の前に膝をつき、深々と一礼した。

「助けて下さって本当にありがとうございます。私はオースティン子爵の娘にございます」
「そうか。俺はジーク・ヴェラード・アシュトラーゼだ」
「アシュトラーゼ……王子様、ですか!?」
 国の名前を自分の名の一部として名乗るのは、王族しかいない。そしてジークという名にアリスティアも覚えがあった。第一王子だ。
 なぜそんな人が、この辺境の街道から外れた土地に来たのか。驚いて顔を上げるアリスティアに、ジークは尋ねてくる。

「そうだ。で、当主はどこだ」
「あの、父は山道の向こうにノイエフェルトの兵が迫っていると見張りの者から聞き、そちらへ……兵を連れていきました」
「そうか」
 ジークはうなずくと、背後の人々に命じた。

「敵は二手に分かれていたらしい。もう一方も叩きに行く。休憩はそれからだ、急げ」
 そのまま嵐が過ぎ去るように、ジークは配下の兵を連れて出ていった。
 驚いたことに、ジークは瞬く間にノイエフェルトの兵を前にして震えていた父や農民達を助け、敵の軍を退けてしまった。

 父と無事に再会できたのはジーク王子のおかげだ。
 アリスティアは彼に礼を言いたかったが、ジークが連れてきた数千の軍が宿泊するために、食料を手配したり、ジークやその側近たちのために館の部屋を整える必要があった。
 目まぐるしく働いているうちに時間はすぎさり、彼に話しかけることもできない。

 しかも一晩泊まった後、すぐに彼らは国境へ向けて出発してしまった。
 何も言えないまま彼の姿を見送ったアリスティアは、妙な寂しさを感じた。
 なんとか去り際のジークに、領地を救ってくれた礼を言うことはできたが、でも物足りない。

 もっと色々と話したかった。
 何よりもう一度、あの目を向けてほしい……。
 そこまで想像して、アリスティアは思わず自分の服の胸元をぎゅっと握る。

「自分を見てほしい、だなんて」
 そんなことを願うのは感謝の気持ちからだけじゃない。ようやく自分が彼に惹かれていたことに気付いたが、けれど忘れなければならない想いでもあった。

「あの方は王子で、私は田舎娘でしかないもの」
 釣り合う相手ではない。それは理解していたアリスティアは、彼のことは忘れるしかないと考えながらも、もう一度その姿を見ることができたらと願わずにいられない。
 それからの彼女は、数日に一度、自分を助けに来た時ジークが飛び出してきた部屋の前で立ち止まってしまうようになった。

「そういえば、どうやって王子は二階まで登ったのかしら……」
 あの時部屋の窓は開いていたので、そこからジークが侵入してきたのはわかる。
 けれど足がかりになるようなものは、窓の下にない。窓も閉まっていたので、飛び上がっただけでは入れないはず。
 それこそ、誰かが内側から窓を開け、引っ張り上げなければ不可能なのだが。

 一年、二年と経つうちに、アリスティアもその謎とともにジークへの想いを少しずつ、心の奥底に鎮められるようになっていく。
 不思議なことは世の中にいっぱいあるのだし、王子という人ならば、何か自分では想像もつかない方法を使ったのだろうと。

 だが三年後、アリスティアの願いはかなうことになるのだが、かなり予想外な再会になるとはこのときの彼女には想像もつかなかったのだった。