太陽の光が、新緑の葉を輝かせている。
 木々の葉を揺らす風も、咲き始めた花の香りを乗せて甘く人の鼻をくすぐる。
 そんな春の穏やかな日。

 ハイリーディア王国の白亜の王宮、それを包み込むように背後に広がる庭の片隅には、木を割る音と奇妙な歌が響いていた。

「一つ割っては兄のため〜」
 かーん、どすっ。

「二つ割っても兄のため〜」
 かーん、どすっ。

 彼女が片手で斧を振り下ろせば、地面に置かれた丸太は気持ちよく真っ二つに裂けた。
 ついでにその下の地面に斧がめり込む。三回ほど繰り返すと置いた丸太が傾くほどの大きさの穴ができるので、彼女は丸太を置く位置を変えた。

「いやはや、ほんに手伝って下さって有り難うございます、ディートリンデ様」
 少し離れた所に転がる倒木に腰掛けた白髪の老人が、にこにこと彼女に笑いかけながら感謝の言葉を口にする。
 生成りの簡素なシャツを着た老人は、筋肉が盛り上がった腕に似合いの斧を脇に立てかけ、首に掛けた手ぬぐいで自分の額の汗を拭っていた。

「気になさらないで下さい。私が頼んでさせてもらっているんですもの」
 答えた彼女は、結い上げて背に流した灰茶色の長い髪を揺らし、老人を振り向く。
 向けられたと同時に、花の甘い香りが混じる風が彼女の着る薄紫色の広がった袖とドレスの裾を揺らす。絹地に刺繍が施されたドレスは、揺れながらしゃらしゃらと涼やかな音を立てた。

 実に薪割り作業に合わない服装だが、ディートリンデもこんなドレス姿で作業をしたくはないのだ。
 とてもとても作業がしにくいので。
 けれど他の服に着替えることもできない事情があるので、仕方ない。
 だから右の袖を左手で押さえて、右手だけで手斧を振り下ろしているのだが。

 かこーん、べきっ。

「あっ!」
 次の丸太を真っ二つにしたところで、斧が折れた。
 見ていた老人が目を見開き、ディートリンデは頭から水をかけられたようにうなだれて眉尻を下げる。

「ああぁぁ……」
 ディートリンデは悲しげな声を上げながら、しゃがんで無残な姿になった斧を拾い上げ、老人に謝った。

「ごめんなさい。力を入れすぎてしまったのかしら。こんなあっけなく折れてしまうなんて……! 本当は直してお返ししたいのですけど、私の力ではより粉みじんにしかねないですし、こうなったら別のことで償いを……」

「……いえいえ、そういうこともありましょうな。お力の有り余る姫様であれば、致し方ないことでございますよ」
 呆然としていた老人も、ようやく我に返ってディートリンデを慰めにかかった。

「姫様が常人にない腕力をお持ちなのは教えて頂いていたのですから。甘えて姫様に頼ったものの、斧も長年使っておりましたからな、ガタがきておったのでしょう」

 そう言いながらも、老人は額に浮かんだ新たな汗を拭う。正直ここまでの怪力ぶりだとは思わず、驚きに冷や汗をかいたのだ。

 国王の妹ディートリンデが『ちょっと信じられないくらい何でも破壊してしまう』ということは、王宮に勤めているものの間では噂になっていた。
 とはいえ、その奇行のため父王に忌まれ、幼少の頃から王宮の北にある離宮にひきこもるように命じられており、人前に姿を現すことはほとんどなかったのだ。

 今日はそんなディートリンデがひょっこりと老人の薪小屋近くを通りがかり、何か手伝わせてほしいと言いだしたのだ。
 老人は噂の王女がどう物を破壊するのか見てみたいと思い、ディートリンデの申し出を受け入れたのだが、よもや斧までも折ってしまうとは思っていなかったわけである。

「でも、お手伝いさせてと言い出したのは私だったのに……。しかも大切な斧まで壊して……もったいない」

「いえいえお気になさいますな。それではこの爺は別な斧を取りにいきますのでな、姫様は散策をお続けになってはどうでしょうな?」

 老人は笑いながらその場を立ち去る。もちろんこれ以上斧を壊されても仕方ないので、これでディートリンデが帰ってくれるようにと仕向けたのだ。

 ディートリンデも、なんとなく老人がこれ以上自分に手伝わせてくれる気はないのは分かった。けれども仕事道具まで壊してしまって、何かでこの分を取り戻さないと、という考えの方が大きかった。

「とはいえ、私にできることなんて……」

 ディートリンデはじっと自分の手を見る。

 筋肉もあまりなさそうな細い腕だというのに、この手で触れればガラス細工などいともたやすく粉みじんにし、鉄の棒ですら粘土のようにねじ曲げられるのだ。
 生まれて十六年経つが、その間に、どうにか陶器などをそっと持てるようになってはいたが、気を抜けば割ってしまう。その度に侍女達に怯えられたり、ため息をつかれてしまう。

 せめて腕力を活かせないかとディートリンデも思ったのだが、父亡き後に即位した兄王クリスティアンには余計なことをするなと言われてしまっている。
 以来、侍女達もディートリンデが余計なことをしないように、四六時中張り付いていたのだ。

 けれど最近、その見張りもおろそかになりつつあり――おそらくは、物を壊さないようにより慎重にディートリンデが生活できるようになったので、気持ちがゆるんだのだろう――。

 今日は午後からのディートリンデにとって重要な用事が待ち構えているせいか、侍女達は忙しく、準備のために皆いなくなってしまったのだ。
 そこでディートリンデは、またとないこの機会にと、離宮の外をちょっとだけ見るつもりで抜け出してきたのだ。

「お見合い……だから」

 午後からの重要な用事とは、ディートリンデの見合いだ。
 有力貴族達が構成する元老院が提案し、王である兄クリスティアンが承認したもので、相手は確か北東の子爵家だ。
 最近、隣接する他国との小競り合いが絶えないため、その子爵家はディートリンデという、兄王にも煙たがられているお荷物を引き取るのを条件に、王家や元老院に属する貴族家からの援助を受けるのだと侍女達が噂していた。

 ――そうでもなければ、この王女が結婚などできるわけもない。

 侍女達の言葉に、ディートリンデはうなずかざるをえない。
 実際、自分自身でも結婚は無理だろうと思っていたのだ。だから喜ばしいことなのだろうが。

「きっと、もっと厳重に幽閉されるんじゃないかしら」

 怪力で何でも壊してしまう怪物だから。
 侍女達も、そういった噂をしていた。
 お見合いを受けることになった男爵家では、ディートリンデ用の牢のような部屋を増築しているらしいと。

 そうであれば、この見合いが成立してしまえば、王宮に戻ってくることはできなくなる。それどころか、庭に出るということすらできなくなるかもしれない。
 そう思うと、見つかれば怒られるとわかっていても、離宮の外を見たくなったのだ。

 とはいっても、長い時間は離宮を離れていられない。侍女達が戻ってくるまでには部屋に帰らなくてはならないのだ。
 ディートリンデが居ないとわかったとたん、侍女達が魔女のように目をつり上げて兄王にご注進しに行くだろう。

 諦めて戻るしかないか、と顔を上げて歩き出そうとしたディートリンデは、ふっとそれに気づいてしまった。
 老人が切るつもりで印をつけていたと言う、樫の木。
 春先の嵐で傾いてしまい、倒れたら危険なので切るつもりだと言っていた。
 代わりにディートリンデが木を倒してしまえばいいのではないだろうか。
 そう思いついたディートリンデは、よしっと手を握りしめて木に駆け寄った。

「さぁ、これで斧の分は挽回できるわ! ていっ!」

 勢いよくたたきつけた拳で、木の幹がえぐれるように半ばまで破壊される。
 その衝撃のまま、木はまっすぐに傾いていった。よしよし思った通りになったと嬉しくなったディートリンデだったが、その表情はすぐに凍り付く。

「なっ! お前は何をしているディートリンデ!」
「え、お兄様!?」

 拳をめり込ませた木の向こうに、銀髪の青年の姿があった。銀糸の刺繍で飾られた黒い裾長の上着を羽織った青年の冷たくも秀麗な顔の中、水色の瞳が驚きに見開かれている。
 ディートリンデの兄、国王クリスティアンだ。

 一番見つかってはならない人に見つかって息をのんだディートリンデだったが、みしみしという音にそれどころではない事を思い出した。

「あ、いけません、早く逃げてください!」
「は? うわあああああぇぇっ!」

 クリスティアンも、頭上から迫る木の幹に気づき、顔を瞳の色よりも青ざめさせながらその場から逃げ出した。
 国王が一人でいるはずもなく、付随していた衛兵や貴族達も三々五々と散り、間一髪、地響きと共に倒れた木につぶされる者はいなかった。が。

「ディートリンデ……」

 地の底を這うような声で名を呼びながら、クリスティアンがじりじりとディートリンデに近づいてくる。
 その顔には表情はなに一つ浮かんではいないものの、氷の刃物で突き刺されるような怒りが感じられた。

「一度ならず二度三度とお前は……。一度目は、お前が虫を振り払おうとして、そのまま私が壁まで払い飛ばされたのだったか。二度目は三年前の一件で、危うく殺されかけたのを忘れてはいないからな? そして今度は圧死させようとは、よほどこの兄を厭っているようだな」

 春なのに寒くて、ディートリンデは自分の腕をさすりたくなりながら、勢いよく頭を下げた。

「申し訳ございません! お許し下さいお兄様! まさかお兄様がお近くにいらっしゃるとは思わなくて……! 決してお兄様のことが嫌なわけではございません!」

 必死に謝るも、数歩離れて立ち止まったクリスティアンからの冷気はますます酷くなるばかりだ。

「たとえそうだとしても、だ。三度も私の命を脅かしたのには違いあるまい」
「う……はい……」

 ディートリンデはうつむいたまま応えて、きゅっと下唇を噛む。
 もう二度とこんなことが起こらないようにしなくてはと思っていたのに、危うくクリスティアンに怪我をさせるところだったのだ。
 黙り込むしかないディートリンデに、クリスティアンは続ける。

「そもそも、なぜこのような場所にいる。離宮からは決して出るなと命じていたはずだが?」

「あの……申し訳ございません。王宮の他の庭の様子を、どうしても見て回りたくなりまして。ほんの少しだけ離宮から外に出てみたかったのです。でも、すぐ戻るつもりで……」

「庭を見るだけのはずが、どうなって庭木を破壊することになったのかは理解できないが……まぁ今日のところは目をつぶろう」

 クリスティアンの言葉に、ディートリンデは目を瞬く。
 兄が目をつぶると言うのは実に珍しいことだ。何か良いことでもあったのかと思ったディートリンデに、クリスティアンは背後にいた人物が見えるように、一歩横にずれた。

「紹介しよう、お前が午後から会う予定だった見合い相手のアンブロス子爵だ」

「え……子爵様?」

 こんなところを見られるだなんて。絶対に子爵は、自分のことをとんでもない女だと思ったに違いない。
 血の気が引いたディートリンデだったが、顔色の悪さで言うならアンブロス子爵も自分に引けを取らなかった。

 雲のように白い顔色をした子爵は、がちがちにこわばった頬を動かし、何とか笑みを浮かべてみせた。
 けれど次の瞬間に、腹が痛くなったと泣き出し、クリスティアンにこの場を辞することを願い出た。

 アンブロス子爵を見送るクリスティアンは、冷たい笑みを浮かべていた。
 ディートリンデの所行に怯えるような貴族では話にならないと、密かに怒っているのだろうか。
 それとも、これだけ怯えるのだから、結婚後はディートリンデを間違いなく怪物のごとく幽閉してくれると確信したのか。

 ディートリンデには読み切れなかった。

 そして午後、アンブロス子爵の体調不良にて見合いは見送られ、翌日には子爵本人からの申し出により、見合い自体が消滅した。
 なんでも、アンブロス子爵には隠し子が三人もおり、とても王女を娶る資格はないのでという話らしい。
 一度でも見合いの話を受けてしまったお詫びにと、子爵は自領の一部を王家直轄領として差し出しもしたのだという。

 侍女達は、よほどディートリンデのことが怖かったのだろうと噂し、彼女自身もそう思った。
 自分の領地を一部とはいえ手放してでも、結婚の話を無かったことにしたがったのだから。

 やっぱり木を殴り倒す所を見られて締まったのが悪かったのだ、と落ち込むディートリンデを、クリスティアンも叱責してきた。

「お前の怪力が余所に知れ渡るのは、我が王家の恥。今後は決してこの離宮を出るな」

「はい……お兄様」

 うなだれてうなずくディートリンデの様子に満足したのだろうか。クリスティアンはいつも冷たく凍ったような表情を緩めて言った。

「大人しく待つが良い。お前にもっと相応しい結婚相手を探してやる」

 その言葉に、ディートリンデは不安しか感じられなかった。
 なんにせよ、こうしてディートリンデの初めての見合いは、失敗に終わったのだった。