真昼にもかかわらず薄暗い山の奥。
 踏みしめた足の下で乾いた音をたてる枯れ葉も、枝も、薄く煙る空気の中でははっきりと見分けられない。

 空を見上げれば、ほんのわずかの間に陽が傾いたのかと錯覚するような、黄昏色の空が樹の梢の向こうにのぞく。

「ど、どうして伯爵の城はこんなとこにあるんだよ……」

 恐怖に震えながら文句を付けた男は、青と白の房飾りのついた山型の黒の二角帽子を被り、黒い羅紗地の上着を羽織っていた。
 それはハイリーディア王国内のどこへ行こうと、宿と馬の提供を受けることができる、国王の使者の服だ。

 ここは確かに魔王がいるという噂の山中だ。
 かろうじて見分けの付く山道は一本だけ。

 麓で会った木こりが、それは領主の城への道に違いないと教えてくれたというのに、あまりにも山の中は――魔王の住み処と言われても納得できるほど、薄気味悪かったのだ。

 だから木こりが本当は魔物で、餌食をおびき寄せるために嘘の道を教えたのかと考えたのだ。そんな自分の想像によって男の恐怖は増し、歯の根もあわずにかちかちと音をたてる。

 今ならまだ、麓まで戻るのにそう時間はかからないだろう。
 手紙を渡したことにして、このまま帰ろう。
 そう思った使者は、逃げるように山を下り、木立の向こうに麓の村が遠く見える場所まで来てほっと息をついた。

 そのときだった。

「おや、王様のお使者ですか?」

 のんびりとした声が聞こえて、男はその場に飛び上がるほど驚いた。
 その後で少し後悔する。
 斜め左手奥から現れたのは、山の中で会うには異様な姿をした青年だった。
 深緑の上衣は仕立てのいい厚い生地で、縁飾りなどもあるところや、赤のクラヴァットの絹の光沢など、王宮か貴族の館であれば納得できただろう装いだったのだ。

 とても山歩きをする服装には見えない。しかも茶の髪に緑の瞳の整った顔立ちの青年だ。
 こんな場所まで一体何をしに来たというのか。
 とはいえ、目的地に近い場所で人に会ったのだから、一応尋ねておくべきだろうと、使者は返事と共に問いかけた。

「確かに私は王の使者だ。もし、ここはクレイン伯爵の城のある山……で間違いないのかね?」
「ええそうですよ」

 笑顔であっさりとうなずいた青年に、使者は困惑する。
「本当に? こんな魔素が漂う場所に……」
「昔からのことですからね」
 青年は、なんでもないことのように、微笑んで答えた。

「もしかして、クレイン伯爵へお手紙をお届けにいらっしゃったのですか?」
「ああそうなんだが……魔物がいると思うと」

 使者とて、今まで何度となく王の親書を届けてきたのだ。当然がらの悪い者に囲まれたこともあるし、貴族間の確執を決定づける王の親書の場合は、親書ごと消し去ろうとした者達に殺されかけたこともある。

 けれど人間との争いとうのは、魔物と戦うのはまた違うのだ。
 そんな使者の怯えを察したのか、青年が酷く魅力的な申し出をしてきた。

「よければ僕が渡しておきますよ」

 そう言われて、使者は逡巡した。
 出来ればこんな気味の悪い場所からはすぐ逃げ帰りたい。けれど王の手紙を、本人に渡せないというのも困るのだ。
 すると使者の心中を察したかのように、青年が付け加えた。

「ちょっとこんな格好していますけれど、僕は伯爵家の家令をしておりまして。……お恥ずかしい話ですが、ここはこんな場所ですから、お仕えする者が少ないので、あれこれせねばならないので、領地の外へ出かけた帰りでして。それに、麓の町で一日待って頂けるなら、私が主のお返事をお届けしますが」

 確かに青年は、伯爵家の家令というのに相応しい気品のあるたたずまいをしていた。
 それに村で待っていれば、返事を届けてくれるというのだ。願ってもない申し出に、使者は飛びついてしまった。

「で、では私は町におりますので。よろしく伯爵にお渡し下さい」

 そして封蝋をした信書入りの黒い木筒を渡すと、使者は脱兎のごとくその場から立ち去ったのだった。

 一方、筒を渡された青年の方はしげしげと眺め回した後、城の中へと歩きながら信書を取り出してしまう。
 そうして紙に記された文字を読むと、散策に出かけるような足取りで山を登った。
 彼の向かう先には、細い獣道らしきものしか見えない。けれど彼が近づくと、もそもそと岩や木が避け、隠されていたならされた道を露わにした。
 やがて山の中腹を越えたところで、青年は異様なまでに黒い壁面と馬車が二台は並んで通れそうな門をくぐり抜ける。
 その奥にそびえ立つのは、これも壁が黒い城だ。

 先程の使者ならば、魔王の城に迷い込んだのかと尻込みする城へ、青年は何のためらいもなく入っていく。黒い石が床に敷き詰められた城の内部へ足を踏み入れ、城内のとある部屋へと入った。

 そこで青年は、部屋の中にいた人物に語りかける。

「クレイン伯爵様宛で、国王陛下からの手紙が来ておりますよ。しかも」

 青年はそこで言葉をくぎり、口の端を上げて続けた。

「王女殿下を娶らないか、という打診でした。……こんなに上手く話が転がるとは思いませんでしたね」

 そう言ってくすくすと笑い出す青年の声に、もう少し低い男の声が重なる。

「くっくっく……どうやって聖女の末裔を手に入れようかと思ったが、運命とは数機なものだ」

 部屋の中にいた人物はそして青年に命じた。

「国王には承知したと伝えろ。そして王女を迎える準備をするように。我が封印を解くために、きっと役に立ってくれるだろう……丁重にもてなさねばな」

 命じられた青年はその場に片膝をつき、深く一礼した。